積ん読

一泊出張から帰ってきたら、机周りがきれいに荒らされていた整理されていた。机の上はもちろん、机脇に置いてあった書類や雑誌類もまとめて書棚やカラーボックスへ。


書棚を整理するときは、著者別とか、判型別とか、シリーズ別とか、ジャンル別とか、用途別とか、いろんな基準はあるけどなんらかの基準にしたがうのが普通だと思う。整理整頓があまり得意でない自分でも書棚に片付けるときはそうしたい気分になるから、たぶん誰でもそうなんじゃないかと思う。書棚に収納した結果が物理的なものとして見えるからか、なぜか、読みたい順とか新しい順とかそういう整理をする気にはならない(読みたい順とか、新しい順とかに並べると、全く整理されているようには見えないのが理由か?)。


ところが、本は雑誌は熱力学の第二法則に従って(?)増えることはあっても減ることはない。するとどうなるか。


きれいに分類整理されていた書棚にどんどん新しく追加していくと、そのうち、整理しきれなくなるときが来る。例えば著者別に並べていた場合、それぞれの著者用ににあらかじめ割り当てていたスペースを越えて収納することがいつか必要になる。となると後は、書棚のスペースの再割当という大仕事をしなければいけなくなってしまう。ジャンル別、判型別、用途別などでも同じ。また、前述のように自分の場合は、優先度とか読みたい順とかで書棚に収納することができないので、次に読みたいものとか、最近入手したものとかをいちいち頭で覚えておいて、しかもそれらがどこになるかも分かっていなくちゃいけない。


私の積ん読の場合、書籍・雑誌類は基本的に LIFO (Last In First Out) で、つまりは後入れ先出し。新しいものがまず目にはいる。それに加えて、次に読むものを差がしているときに惹かれるものが目についたりするので、それらも上(あるいは手元近くへ)移動する。逆にその時興味を持てなかったもの、とりあえず後に回そうと思ったものは、どんどん山の下へ移動していく。そうして、手元には、優先度がついたリスト(というか現物だけど)ができることになる。いちいちそのリストを覚えておいたり、書棚で新しい書籍が加わるたびに、優先度を考え直し既存のものと合わせて並べ替えることもない。


つまり、積ん読状態はこまめに(書籍・雑誌を入手したり、そこからなにかを選び出したりするたびに)小さな作業が必要になるだけだ。それだけで、大げさに言えば、ある意味脳の拡張とでもいえる働きができている。


というわけで、いつかある大仕事が嫌な私は、これからも積極的に積ん読しておきたい。